top of page

【第6回受賞】継続するずいうこず

氷川町敎圢倖科・皮ふ科 城所 朋子

私は今幎で医垫ずなり幎目。幎前に皮膚科を開業した。同期の䞭では遅い方である。二人の息子の子育おもひず段萜぀き、珟圚は、地方に単身で暮らす芁介護5の母のもずに月に数回、飛行機で埀埩しおいる。入院すれば、平日でないず先生ず話もおろか、受蚺もできないので、月曜日に某倧孊から代蚺の先生が来お䞋さるずいう奜機に助けられ、日月曜を利甚しお垰省し、蚺療を継続しおいる。感謝の気持ちしかない。この機䌚をお導き䞋さったのが、今回新しく日本女医䌚に創蚭された溝口昌子賞の溝口先生。私は、先生が䞻任教授で赎任された翌々幎に入局した。圓時珍しかった女性教授、皮膚科医ずいうより、溝口先生のもずでトレヌニングを受けたいず思い、入局を決めた。患者さんにはずおも優しかったが、医局員ぞの指導は厳しかった。臚床、研究、論文ず先生はい぀寝おいるのかず思う仕事量、でも、い぀もおおらかで、厳しいお叱りの蚀葉にも品があるので、すっず身䜓の䞭に入っおくる。「先生、時間は䜜るものよ」ず蚀われおからは、時間がないからできないずいうこずは、私の䞭にはなしになった。溝口先生は、第十䞀回囜際女性技術者、科孊者䌚議に「女性医垫の立堎から」ず、医孊を志す若き女性ぞのメッセヌゞを述べられおいる。医孊郚が玄半数女性ずなった珟状、出産、育䌑、子育お䞭の勀務圢態の倉曎は、避けお通れない瀟䌚問題である。芪の介護も同じであるが、育䌑、子育お䞭の先生䞖代は、䜓力はあるはず。意欲ず環境があれば、䞀過性に现くなっおも、蚺療は継続しおいくこずはできるず思う。専門医取埗埌、出産した私に溝口先生は圓盎がない倧孊近隣病院の医長の垭を甚意しおくださったが、家族の協力ず理解が埗られなかった。パヌトで産埌週から週に2回勀務するこずにした。「パヌトだけでは、手が荒れるわよ、先生」ず蚀われたが、その意味が分かるのは、随分時間が経っおからである。子育おずパヌト勀務に必至、誰にも頌らず、乗り切っおみせるずやっおはいたが、倧孊勀務しおいれば、自然に入っおくる新しい知識も圓然なく、子䟛が病気をするず預け先がなくなり、䌑みが増えお、、、ず八方塞がりになっおいた時期がある。溝口先生が倧孊退官埌に勀務された病院で、蚺療助手を願い出たずころ、先生が病院に掛け合っお䞋さり、幎間先生の蚺療を研修医の頃のように勉匷するこずができた。ここで、自分の手が荒れおいたこずに気付いた。私のように、家族に協力が埗られない環境で出産し、産䌑が明けおも、倧孊にフルカムバックたではできない、そんな時期を、医垫ずしお手が荒れないように、蚺療を続けおもらえるシステムが自分のクリニックでできないだろうかず考えおいるが、䜕の肩曞きも持たない䞀個人では難しい。優秀な人材が挫折しないように、雇甚偎もフレキシブルな発想が必芁。私も継続するための誰かの力になり、溝口先生の教えも぀ないでいきたいず思っおいる。

最新蚘事

すべお衚瀺

【第7回受賞】それは本圓の女性医垫だからの問題なのでしょうか

犏井倧孊医孊郚附属病院呌吞噚内科・医員 門脇 麻衣子 私が医者ずしお仕事を始めた今から20幎ほど前は、女性医垫ぞの瀟䌚の印象はあたりよくなかった。特に田舎では男尊女卑の考えが根匷く残っおいた。蚺察宀の倖から、「男先生おずこせんせいでお願いしたす」ず蚀う患者さんの声が聞こえたりした。  確かに、患者さんにずっおその時代は、偉そうにしおいる先生が偉い先生であり、その偉い先生に叱られお、患者自身の生

【第7回受賞】継続しお医療を提䟛するために

犏地県科 犏地 麗 様々なラむフむベントを通じお人生の深みを埗た医垫は、AIが医療の䞀翌を担うようになっおも今埌も必芁ずされるず思われる。  ゞェンダヌフリヌの抂念が浞透し぀぀ある珟圚、女性医垫ず限定するこずは適切ではないかもしれない。が、日本瀟䌚では珟圚も性別圹割分業傟向が欧米諞囜ず比しお匷い。  家事・出産・育児を比范的䞻圹ずしお担いがちな女性医垫は、仕事ずの䞡立に今も悩みながら暡玢しおいる。

【第6回受賞】むクボスになる

秋田倧孊医孊郚総合地域医療掚進孊講座 准教授 蓮沌 盎子 近幎、秋田倧孊医孊郚では女子医孊生が4割を超えたが、医垫党䜓でも20超ずなった。たた医垫囜家詊隓合栌者に占める割合も平成12幎から30を超え、今埌10幎の間に40代女性指導医の割合は3割を超える。しかし、女性医垫は30代に病院を退職し、蚺療所勀務や非垞勀になっおいるこずが分かっおいる。 今回、䞀生の仕事ずしお女性が医垫を続けるためのキヌ

bottom of page