top of page

素敵な先輩

更新日:1月11日

第3回 思い出の先生方

              神奈川支部  中島幹恵


庶務と支部だよりの編集で多くの先生に巡り逢う

私は、第2代神奈川支部長が野中久子先生の頃に、大下一代先生に誘われて日本女医会に入会いたしました。


稲生襄先生が支部長時代に、庶務と支部だよりの編集に携わることになり、多くの先輩方とお付き合いさせていただきました。


稲生先生は横浜市元町で地域医療に携わっていた若林静子先生のことを書いておられます。小児科医の若林実先生のお母様です。


古典研究、書道、短歌の造詣も深い先生方

土屋和子先生は「古典研究会」を昭和47年から数十年続けられ、万葉集から始め、源氏物語までを10数年くらい続けられたと書かれておられます。短歌、仮名文字などを支部だよりで発表しておられます。ご子息夫妻は先生の跡を継いだ方と勤務医のお二人です。


村市あさの先生はやさしいお方で、書もやさしい仮名文字でした。


中濱昌子支部長は短歌、条幅などの書もご立派で、エッセーや学問的なことも書かれました。


佐伯輝子先生も書をなさいまして、中国旅行記も書かれました。先生はホームレスが多い横浜野毛地区の診療所でも活躍、「女赤ひげ先生」と称された有名な方です。1984年に神奈川で総会を開催したときに、日本女医会吉岡彌生賞を授与され、他にも多くの賞、国からも勲章をいただいておられます。


英会話の集いと海外旅行

英会話の集いには多くの先生、中濱先生、森田和子先生、加藤七五三子先生など、支部長先生が入っておられます。


永田夏子先生は逗子の眼科医として長らく校医をなさって、文部大臣賞を受けておられました。御夫君は古くからの新劇俳優、永田靖氏です。お嬢様お2人とも一流大学を卒業され、次女の方はスペインへ留学されておられました。その方のお友だちやご親戚、ご主人や永田先生に誘っていただいた私を含め数人で1989年にスペイン、ポルトガルへ旅行いたしました。永田先生とは旅行中ずっとホテルが同室で、大変だった生涯をしみじみと述懐されたことが忘れられません。


支部だよりには、旅行記の何と多いこと! グアテマラ、メキシコ、エジプト、ギリシャ、スイス、パリなど、たくさんの旅行記を多くの先生が書いてくださっています。



            英会話の会。講師のアーサー・スタヴリネキ先生を囲んで。


絵画や写真でも多才な先生方

大竹輝子先生は画集も出されていて、御子息の勤めておられた聖路加国際病院で個展をされました。


他にも写真で個展をなされたり、写真集を出された先生もおられます。


日本で最初に糖尿病認定された藤原道長

短歌、俳句では中村義子先生、深沢愛子先生、中濱先生、国谷喜美子先生などや私も出詠しております。エッセーの題材も、学術や趣味、ペットなど様々で、私も心電図、WPW症候群、肥満児(大腿骨頭すべり症)などを載せました。


平成6年に国際糖尿病学会が日本で開催された時、東京女子医科大学の大森安恵先生が会長をなさいましたので、支部だよりに「糖尿病と藤原氏」のことを書きましたら、それを大森先生がお読みになり、その折の記念切手の実物を送ってくださいました。切手のデザインはインスリンの結晶と日本で認められた最初の糖尿病患者である藤原道長を描いたもので、支部だよりに載せています。





女医と戦争

吉岡彌生先生が作られた東京女医学校(現東京女子医科大学)の第1回卒業式に、来賓の一人が女医亡国論を述べたと聞いたことがございます。先の戦争中には開業医の男性医師は軍医として多く招集されたということです。大きく声を上げなくても、着実に先輩方は活躍されておられたのでしょう。


私は開業してすぐ、中学の校医となりました。新入生の健診で、小学校からの連絡事項は低身長というだけの、かわいらしい少年がおりました。養護教員がかたわらで「おねしょ(の癖)があったので修学旅行には行かなかったそうです」とささやきました。夜尿、低身長、脳下垂体? とひらめきましたが、私は主治医ではないので養護教員から家族に連絡させ、県立子どもセンターを受診するように伝えました。診断は「脳下垂体良性腫瘍」ということで、手術を行い、後遺症もなく退院できました。病院の女医さんから私にお手紙をいただきましたが、身長が160cmになるまで成長ホルモンを毎日筋注してください、ということでした。家が私の病院とは少し離れていましたので自身で注射するよう指導しました。数年後、立派な青年となって家業の園芸に従事、シクラメンの鉢を配達しに来た時は感慨深いものがありました。眼科医で複数の学校の校医をされている方もいらっしゃるようです。


日本女医会が単なる楽しい会だから会員が減少しているという意見もあるようですが、総会の開催や学術講演会の開催も行っており、そのような指摘には当たらないと思います。


荻野吟子賞受賞の先生方

稲生先生は「柊(ひいらぎ)」「続柊」で詳しくご自分のことや会のことを書いていらっしゃいます。先生のご活動には頭が下がります。先生は2007年に神奈川支部で日本女医会総会があった時に荻野吟子賞を受賞されました。





養老静江先生は94才まで鎌倉で小児科を開業されていて、1994年に荻野吟子賞を受けられました。御子息の養老孟司先生は東京大学名誉教授(解剖学)、「バカの壁」「養老先生病院へ行く」などのエッセー、評論多数、昆虫採集、昆虫標本でも有名な方です。

 

順不同、書き忘れた先生もおいでで、申し訳なく存じております。


今も日本女医会の仲間とイベントに参加

私は平成3年に閉院、同年大腿骨頸部骨折のため手術し、現在はみなとみらいの有料老人ホームに入居してリハビリを続けております。


同じホームには眼科医の深沢先生(102才)、同じく眼科医の辻沢キヨ先生(私と同年の95才)がおられ、施設でのイベントには一緒に参加しております。3人とも日本女医会では、英語と短歌の会に参加しておりました。今は神奈川県医師会、横浜医師会短歌部に所属しております。故人となられた先生方がほとんどですが、楽しく勉強させていただいた方ばかりです。

 

新しい日本女医会の未来へのご発展、心からお祈りしております。

Opmerkingen


bottom of page