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「日本女医会 温故知新インタビュー」を始めました。

日本女医会は1902年、公許女医第12号の前田園子先生によって「女性医師の社会的地位向上と相互研鑽」を理念として設立されました。現在までその理念を引き継ぎ、116年にわたって活動を継続して来られたのは、永きに渡って諸先輩方が会員として、また役員として会を支えて下さったからです。


2018年度より功労会員)、永年会員**)を制定し、貢献してくださった先生に感謝の気持ちを込めて表彰させていただいております。長年日本女医会に関わってきてくださった先生方の経験を後輩に伝えていくために、表彰された先生に順次インタビューをさせていただく事にいたしました。


次は貴方のところにインタビューにうかがうかもしれませんので、ご協力よろしくお願いいたします。(なお、肩書はインタビュー当時のものです。)


第1回 橋本葉子先生

ご略歴

  • 1956/3 東京女子医科大学卒業

  • 1957/6~1963/3 慶應義塾大学医学部生理学教室 助教

  • 1963/11 東京女子医科大学第一生理学教室 講師

  • 1972/12東京女子医科大学第一生理学教室 准教授

  • 1984/4 東京女子医科大学第一生理学教室 教授

  • 1995/5~1998/10 国際女医会副会長(西太平洋地域)

  • 1998/5~2006/5 第7代日本女医会会長

 

2018/12/20 橋本葉子先生のオフィスでお話を聞きました。


日本女医会と関わるようになったきっかけを教えてください。

1976年に日本女医会が第15回国際女医会議1)を開催するときに声をかけられたのがきっかけです。当初は帝国ホテルでの開催を予定していたようですが、当時ホテルでの学会開催がまだめずらしかった時代で、京王プラザホテル2)がその開催に積極的だったこともあって会場に決まったそうです。京王プラザは学会開催の経験がなく、この時に私たちがそのノウハウを指導しました。

1)1976/8/21-27に開催された日本初の国際女医会議。会長は小野春生先生。参加者1129名。

2)京王プラザホテルは1971年に日本初の超高層ホテルとして誕生した。


国際女医会での活動について教えてください。

1995年から3年間国際女医会西太平洋地域担当の副会長に選出され、その間は1996年の第6回地域会議(ニュージランド)、その他世界各国の女医会議に出席しました。1998年の国際会議はケニアのナイロビで開催予定でした。しかし、ケニアでテロが起こりそうだというアメリカからの情報があり、急遽開催地がブラジルのサンパウロに変更になりました。実際8月にケニアのアメリカ大使館が爆破されるという事件3)が発生しました。本音を言えば、ケニア訪問が叶わなかったのはとても残念でした。

3)1998年アメリカ大使館爆破事件:テロ実行犯は爆薬を満載したトラックでアメリカ大使館内に突入、同時に爆薬が炸裂してトラックもろとも自爆した。この自爆攻撃によってビル内にいた大使館員と民間人など291名が殺害され、5000名以上が負傷した。


ブロック懇談会について教えてください。

女性医師が非常に少なかった時代には100%に近い女性医師が日本女医会に加入していましたが、次第に日本女医会の存在を知らない若い先生が多くなり、会員を増やすためにはまず会の存在を知ってもらわなくてはならないという意見が出ました。当時庶務部理事だった鹿田儀子先生と副会長の石原幸子先生が中心になって「ブロック別懇談会」4)が始まりました。第1回は1998年11月に横浜で開催しました。

4)会員増強を目的に本部理事が地方を訪問し、地域の女性医師のみならず男性医師とも交流している。2009年に福島で開催された第12回からは「ブロック懇談会」と名称が変更されている。2017年度は長崎で第21回を開催した。


100周年記念事業について教えてください。

1998年には日本女医会100周年記念事業を行うことと「百年史」作成が決定していました。現在のロゴマークもこの時に作成されたものです。2002年5月18日に100周年記念式典を京王プラザホテルで開催しました。企画段階から美智子妃殿下にご臨席賜りたいと考えていて、ちょうど親しくしていた葛飾区の議員が皇居の警備をされていたという事もあり、話が順調に進みました。2年後の第26回国際女医会議5)も100周年を迎えた日本が開催国として選出され、この時にも妃殿下にご臨席賜ることができました。会議は参加者国内250名、海外250名、計500名と大成功を収めました。

5)2004年7月28日〜8月1日に京王プラザホテルで開催された。緒方貞子氏による「人間の安全保障と保健医療」と題する基調講演、国際女医会会長Shelley Rossの挨拶、小泉総理大臣、坂口厚生労働大臣、大塚東京都副知事、植松日本医師会会長から祝辞を頂いた。


日本女医会の活動で最も記憶に残っていることは何ですか。

「日本・アラブ女性交流事業」6)が最も記憶に残っています。2002年と2008年に日本女医会が事業の運営を担当しました。中東の参加国はヨルダン、エジプト、パレスチナの3ヵ国で始まりましたが、2008年からはシリアも加わって4ヵ国となりました。2002年度は私が会長の時で、テーマは「女性と医療」、第10回は日本からヨルダンとエジプトを訪問し、第11回は日本を訪問していただきました。エジプトでは小池百合子都知事が卒業したカイロ大学の病院を訪問しました。2008年度は小田康子先生が会長の時で、テーマは「リーダーシップの達成とその成果」、第22回はヨルダン、シリア、エジプトを訪問し、第23回は日本を訪問していただきました。この時は静岡県掛川市と東京の2カ所でフォーラムを開催しました。中東は訪問する機会がなかったのでとても良い経験になりました。

6)1993年に日本を訪問したヨルダンのバスマ王女からの要請で始まった。国連NGO国内婦人委員会が外務省からの委託で1996年から2012年まで開催した。日本女医会は現在も国連NGO国内婦人委員会の加盟団体であり、橋本先生は副会長を務めている。


最後に橋本先生から日本女医会の後輩に伝えたいことをお聞かせください。

日本女医会は専門も地域も違う女性医師が参加していて、女性の視点にたった活動、とくに社会貢献を学ぶことの出来る最高の場です。これからは医師としての仕事だけでなく、公益事業を体験し、国際的視野を広げることはとても重要です。沢山の後輩医師が日本女医会に参加し、先輩に学び、お互いの交流を深め、活躍して欲しいと思います。


インタビューを終えて。

第1回目は大学の大先輩であり、日本女医会会長としても大先輩の橋本先生にインタビューさせていただく事が出来、大変勉強になりました。国際女医会西太平洋地域の副会長、国際女医会議の開催という大役をこなされ、100周年記念事業を取り仕切られた経験は貴重で、日本女医会百年史の発行は今も私たちに歴史を伝えてくれています。私たち後輩の役目は、貴重な歴史を引き継いで、次の世代に伝えていくことだと改めて確信いたしました。




*)功労会員規程

原則として1)または2)を満たし、該当年3月31日時点で75歳以上の会員 1)会長経験者 2)理事もしくは監事を5期(通算10年以上)務めた者


**)永年会員規程

原則として日本女医会に入会してから30年以上経過し、当該年の3月31日の時点で75歳以上の会員。


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