top of page
1914joikai.jpg

since 1902

Japan Medical Women's Association

日本女医会は1902年に前田園子が創立して以来、医学に関する調査研究、医療の普及、女性医師相互の連携などを旨として活動を続けている女性医師の団体です。

日本女医会の歴史と役割

日本女医会は1902(明治35)年に、公許女医第12号の前田園子の尽力により、当時全国で医術開業試験に合格した約100名の女医たちが、女医の育成、地位確保と研鑽を目的として創設されました。
 

1969年には社団法人の認可を取得し、2012年4月1日より公益社団法人として新たな一歩を踏み出しました。
会員数は1597名(2012年3月現在)で、若い研究者のための学術研究助成、表彰(吉岡弥生賞、荻野吟子賞)、健康に関する啓発事業、若い女性医師や次の世代を担う医学生のキャリア継続支援、災害時救援活動、等の公益目的事業を通して社会に貢献しています。本会の会員になりますと同時に国際女医会の会員として認められます。

国際女医会は3年毎に加盟国において国際女医会議を開催し、各国の女医が一堂に会して一定のテーマを討議すると共に、親睦を深めております。日本女医会からは小野春生先生(昭和22年東京女子医大卒、小児科)、平敷淳子先生 (昭和39年東京女子医大卒、放射線科)の2人の国際女医会会長を輩出し、1976年、2004年に東京において国際女医会議を開催しました。わが国の医療情勢はますます厳しさを増して参ります。私たちはお互いに手を携えて助けあい、女性医師の精神的拠り所として、オピニオンリーダーとして、女性医師のキャリア継続のためのメンターとして活動し、社会に貢献したいと考えております。

日本女医会の活動歴 since 1902

〜日本女医会の創設に携わった女性たち〜

sonoko.png

前田園子

1891年医籍登録

1902年日本女医会創設

1913年日本女医会雑誌創刊
各婦人団体と連帯し、人権活動に尽力する。

ginko.png

荻野吟子

1885年医籍登録

日本最初の公許の女性医師

当時女性は医術開業試験を受けられず、自ら奔走し政府に働きかけ、後続の道を拓いた。

yosioka.png

吉岡彌生

1893年医籍登録

1900年、現在に至るまで唯一の女性医師養成機関東京女医学校を設立。1920年日本女医会初代会長に就任。女医の活動を先導し、女性の地位向上に貢献。

history.png

日本女医会会長挨拶

 1902年に前田園子(公許女医第12号)らによって設立された日本女医会は、2022年4月に創立120周年を迎えました。発会の趣意は「学術上、処世上の知識交換のほか、互いに気脈を通じることによって社会における女性の地位向上をはかるとともに、その中枢団体として全国の女医を集結させて、国家邁進の一翼を担う」とされており、既に120年前に女性のエンパワーメントを目指していたことが分かります。

 1885年に荻野吟子が女性で初めて医師国家資格を取得(公許女医第1号)してから135年、2020年の日本の女性医師数は71,758人(21.9%)と初めて7万人を超え、29歳以下では35.9%と年齢が低いほどその割合が高くなっています。それにもかかわらず、OECD(経済協力開発機構)加盟34ヵ国における日本の女性医師比率は最下位で、世界からは大きく遅れをとっています。

 さらに、2021年の日本のグローバル・ジェンダーギャップ指数(男女格差の度合いを示す指数)は156カ国中120位で年々その順位を下げています。これは日本よりも諸外国のほうが、ジェンダーギャップ解消のための努力が上回っているからです。 日本女医会は今こそ発会の原点に立ち返り、女性医師のための活動に留まらず、医師が救うべき患者さんはもちろんのこと、社会的に弱い立場である女性、子供、性的マイノリティ、そして障がいを持っている人、生きづらさを抱える人たちなどに手を差し伸べ、異次元のスピードでジェンダー平等に向けて動き出さなければなりません。日本のジェンダー不平等は「Time’s Up(時間切れ)」です。


 公益社団法人日本女医会は異次元のスピードでジェンダー平等を推進します。

1 前田佳子会長.jpg

公益社団法人日本女医会 

会長 前田佳子

bottom of page