臨床から基礎へ
日本女医会から研究助成をして頂いてから12年となる。札幌で行われた総会の際、授与の挨拶でも私が臨床から基礎へ転向した不純な動機を述べた。30歳を少し過ぎた頃、当時所属していた臨床の教室の教授は指導力も優れ、尊敬する恩師の一人であるが、私の度重なる出産・長引く育児休暇にさすがにあきれ果て、復帰後も「男性医師が取らない休暇は認めない(たとえば事前にわかっている行事など)」と、今ならパワハラと言われかねない言葉を浴びせた。ちょうど、学生時代に出入りをしていた生理学講座で「助手の席がもうすぐ一つ空く、学位も何もなくていいから」と誘って頂き基礎へ移った。pHメーターの使い方すらわからず、講義の準備もたった2コマに1カ月をかけて行うような状態からのスタートだった。当時の助教授の指導下に研究をスタートさせ、あれこれ文献を当たるうちに志望留学先が決まり、幸運にも文部省在外研究派遣(長期)の機会も得、日本女医会から助成を頂いた「幼若ラットの嗅覚嫌悪学習」の行動学的研究が私のテーマとなった。もちろん定年退職した両親の支えもあってできたことだと、関係各位には深く感謝している。
現在国立大学法人では「外部資金の獲得」が大きな課題となっている。研究者自身にとって研究費獲得による研究の発展が大きな喜びであることは当然だが、それ以前に助成金応募の際の少しでも立派な申請書の作成というステップが重要である。審査員を説得出来る論理的な実験計画およびそれを明快に説明した文章と同様に不可欠なのが業績欄である。業績がなければ研究者として信用もされない。普段からこつこつと申請書の業績欄を埋める努力を続けることこそが研究者の生活であると思う。わかっていてもできていない私ごときがきわめて僭越だと承知している。
ワークライフバランスの考え方
もし、私が男であったら、あるいは独身のままであったら、今頃はバリバリの臨床医としてガンガン手術もこなしていただろうか?などと思うことがある。しかし現在の私にとって子どものいない人生はとても考えられない。医師・自然科学者なら常識であるが、やはり母体が若い方が受胎率も高く、子どもはより健康に生まれ、育児のための体力も備わっている。「折角のキャリアが・・・」と言われるが、優秀なDNAをもった女性医師たちはなるべく早めに、できれば20代のうちに一人は出産すべきというのが私の持論である。
現在の少子化社会はそもそも女性が男性と同じように働くことを社会が要求したことが発端であろう。生物学的に異なり、役割もちがう女性が完璧に同じように働ける訳がない。われわれはヒトである以前に生物であり、生物は種の保存のために生殖活動をするのが宿命であり、かつヒトは子孫に技術や知恵を受け継がなければならない。
生殖の適齢期に比べ、医師としてキャリアアップできる期間はずっと長い。高知大学医学部に30歳過ぎてから入学してくる再入学学生をみても然りである。膨大な税金を投入されて医師となった以上社会への還元は義務である。出産・育児が一段落した女性医師の復帰支援プログラムを充実させ、まず病児保育を整備することが現在喫緊の課題であると考える。それとともに「年齢制限」を排除することも重要である。科学研究費の若手枠が代表例であるが、多くの助成金には45歳・50歳までといった制限が設けられている。ポスドクの採用にも年齢制限はある。復帰活躍者は当然年齢とキャリアにずれがある。選考の手間を省く目的なら研究歴(年数)で制限するか、あるいは出産・育児休業期間の考慮が必要であろう。
人生は女性ならではの生殖活動と医師・研究者としての活動と両方を行うには十分に長い。しかし老いはあらゆる部位でじわじわと進行し気がつくと「人生は短い」という結論に帰着しそうだと最近思うようになった。
キーワード 外部資金,ワークライフバランス,復帰支援,病児保育