「私のキャリアを支えてくれた力
~小児科医から研究者そして大学教授への道の中で~」
グラント取得の厳しさの中、二度の学術研究助成に救われた
私は学生時代から研究者に憧れていたが、研究者としてスタートしたのは遅かった。臨床に役立つ研究をするためには臨床を学ぶ必要があると考え、女子医大を卒業後小児科医として臨床に10年携わったからだった。この間に博士号を取得し、本格的に研究者としての道を歩み始めたのは、1990年、夫とともに米国テキサス大学MDアンダーソン癌センターの生物細胞部へ客員研究員として留学してからとなった。その時すでに30代半ばだった。
留学先で見たボスの姿、それは意外なことに、試験管を振って研究をする姿ではなく、コンピューターに向かってひたすら書類や論文を書いている姿だった。そして私は、ボスが実験をしている姿を遂に一度も見なかった。アメリカではグラント(研究補助金)を獲得できないと、研究を続けることができない。グラントで実験機材を整備し研究者を雇うからだ。実際、隣の研究室の教授は、かつてサイエンスに論文を発表したほどの方であったが、一時期グラントをとれなかったために研究員をほとんど雇えなくなり、彼の研究室は開店休業の状態となって、スペースも狭くなって行った。さらにその教授は会計士になるべく勉強をしているという噂がたった。日本ではアメリカほどの厳しさではないが、状況は同じだ。文部科学省で交付する科学研究費補助金(科研費)が代表的なグラントであるが、それらを獲得しないと試薬ひとつ買うのにも苦労する。しかし、グラントをとるためには、優れたアイデアと研究業績がないと難しい。
アメリカから帰国して女子医大の基礎医学教室に入った私は、グラント申請の書類を書く事に不慣れで、業績もさしてなかったため、科研費が獲得できなかった。そんな時に、日本女医会から学術研究助成を頂いた。私自身が初めて得た記念すべきグラントで、本当に有り難いことだった。それをきっかけに、研究が段々に進んで業績ができ、それに伴って念願の科研費もとれるようになり、また業績ができる、という好循環が生まれた。
そうしてキャリアを積むことができ、遂に2007年春には女子栄養大学の教授となることができた。しかしこの時がまた試練であった。ちょうど科研費が期限終了となった時で、しかも研究室の立ち上げにお金がかかり、教育業務の立ち上げもあって超多忙となり、おまけに人手もなかったことから、研究が何も進まなくなってしまったのだった。当然のことながら充分なグラント申請書類を書くことができなかった。この時もまた、日本女医会からの学術研究助成に助けられた。2008年春には研究室が完成、2009年春には充分とはいえないまでも実験機器が整ってきて、卒業研究生が我が研究室で実験を行うようになった。うれしい光景である。さらに頑張って再び業績とグラント取得の好循環を生み出したいと願っている。
あきらめず、今できる最大限のことを
振り返ってみれば、私はただひたすら自分の夢を追いかけてきただけのような気がする。こんな研究をしてみたい、あの先生のところで学びたい、といった夢をもち、それを実現させるために色々な方に助言を求め協力して頂いた。もちろん育児などいろいろ大変な時はあったが、諦めずにその時々にできる最大限のことをしてきた。それが自分のキャリアアップに繋がり、気がついたら今の自分になっていた。こんな私を支えてくれた家族と、協力してくださった多くの方々に心から感謝している。
なお、現在に至るまでの私の歩みは、国立女性教育会館のHP 1)と「キャリアを拓く:女性研究者のあゆみ」2)という本に記載されているので、参照して頂ければ幸いである。
1) 国立女性教育会館(NWEC)女性情報ポータル「女性のキャリア形成支援サイト」http://winet.nwec.jp/career/modules/tinyd1/index.php?id=57
2) 柏木惠子/国立女性教育会館女性研究者ネットワーク支援プロジェクト編: 「キャリアを拓く: 女性研究者のあゆみ」, 東京 : ドメス出版, 2005.8
キーワード: グラント キャリアアップ 夢を持ち続けること