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1985.05.26 
第5回 昭和59年度受賞 後藤 節子  

「研究助成その後」 

椙山女学園大学教授
名古屋大学名誉教授
後藤節子

絨毛性疾患の診療と研究に従事して

 昭和60年(59年度)に学術研究助成を受賞した。当時は医学博士号を取得し、名古屋大学産婦人科教室の絨毛性疾患の基礎研究室室長と医局長を務めており、子育てにも忙しい時期であった。日本女医会研究助成は励みとなり、実験試薬代金に活用した。医学部入学以来45年間在籍した名古屋大学を定年退職し(名誉教授)、昨年度から椙山女学園大学教授として、新学部(看護学部)設置準備室長をしている。
 産婦人科学研究者としては、悪性腫瘍の教育・研究・診療に従事し、特に胎盤腫瘍である絨毛性疾患の中でも絨毛癌患者の予後改善に努力した。絨毛癌患者救命は歴代教室のテーマであったが、私は昭和52年から平成5年まで(医学部保健学科教授となり平成5年に転出)、絨毛性疾患基礎研究室の室長として、後には絨毛性疾患の基礎・臨床を統合した研究室の室長として、絨毛癌腫瘍マーカーHCGの特異的微量測定法開発による患者治療経過の正確な把握法の確立、CT・MRI画像診断の早期導入による病巣確定診断法、同様に肺・脳転移巣への手術療法導入と手術適応基準の設定など高度先端医療を駆使して絨毛癌患者の予後改善を目指した。さらに、治療患者から絨毛癌細胞培養株を樹立して、in vitro癌細胞の性状解析、癌細胞(樹立細胞株NaUCC-1,2,3,4)の薬剤感受性、併用薬剤による主要薬剤効果干渉による薬剤耐性の新たな発生、癌細胞の有する父親由来のHLAの証明と、HLA抗体のblocking antibody とも解される予後不良患者体内の抗体存在意義、上皮性成長因子のオートクラインシステム系による癌細胞増殖メカニズムの証明などの難治性絨毛癌患者の病態の解析、さらに、癌細胞膜表面酵素に対する阻害剤による薬剤耐性克服の試みなど、絨毛癌患者予後の改善を目指す研究を進めた。これらを通して、後輩の研究指導および診療指導を行い、多くの産婦人科医師を育てることとなった。また、中国などアジアの留学生の博士課程の研究指導も行った。

絨毛癌治療を通じ国際援助活動

 のようにして、私の入局当初は50%の救命率であり、名大産婦人科病棟で毎月1名ずつ死亡していた若い絨毛癌患者の予後を現在の100%救命までに上昇させ、名古屋大学の絨毛がん治療成績向上に、研究診療グループの中心となって寄与できたことを幸せに思っている。最近の10数年は名古屋大学では絨毛癌死亡患者を経験せず、世界のトップレベルの臨床成績を維持しており、日本の絨毛癌治療成績が世界から高く評価される一因となっている。また、日本産婦人科学会の絨毛性疾患登録管理を担い、絨毛癌の前癌状態でもある胞状奇胎患者を徹底追跡管理することで、予防的管理・早期発見が可能となり、日本では絨毛癌による死亡が減少した事実も証明した。しかし、集中する多剤併用化学療法治癒患者のその後の妊娠の子どもには、心臓奇形発症などの危険性もあり、化学療法剤から卵子を庇護する重要性も提起した。これら絨毛癌の研究・診療成績をまとめて『絨毛性疾患の診断と治療』(永井書店、A4版 192頁)を共著発刊した。この本は、絨毛性疾患の診療指針として、広く使用されている。この絨毛癌治療の成果を得て、私は1998年から2001年に発展途上国ベトナムへの医療技術移転チームに参加して、ベトナム南部ヴェンチェ省での絨毛性疾患患者の登録管理方法の樹立およびベトナム南部ホーチミン市の産婦人科中枢病院TuDu病院での絨毛癌診療指導を行い、当初は高い死亡率であったベトナム絨毛癌患者の治療成績が好転することに寄与した。医療技術移転に参加したチーム全体に対して、ベトナム社会主義共和国より母子保健に関する感謝状を受けている。
 以上、医学研究・教育・診療と産婦人科医療の向上、および女性医師としての社会的貢献活動に尽くすことができたことについて、励みとなった日本女医会研究助成に感謝したい。


(仮)キーワード:産婦人科診療 絨毛癌 登録管理 
           発展途上国 医療技術移転


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